長嶋茂雄監督の血液型は?天才打者の性格が垣間見えるエピソードをチェック!


ミスターの愛称でお馴染みの野球界の大スターといえば、長嶋茂雄さん。
2019年4月2日の巨人対阪神の一戦に、長嶋茂雄さんが姿をあらわしましたね。

バルコニー席から元気に手を振る長嶋さんに、会場からは大きな歓声と拍手が注がれました。

長嶋さんは、2018年7月に胆石で入院していました。退院後もリハビリを続けていたそうです。今回は、医者からの外出許可がおりたことと、本人の希望で試合を観戦することになったそうです。

私たちも、ミスターの元気な姿を見られて安心しましたし、その姿は国民誰もが元気をもられますね。

そんな誰もが認める大スター長嶋茂雄さんの血液型や彼の性格が垣間見えるエピソードをみていきましょう。

長嶋茂雄さんの血液型とプロフィール詳細

早速ですが、長嶋茂雄さんのプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手 ・元読売ジャイアンツ監督・読売ジャイアンツ終身名誉監督
生年月日:1936年2月20日
身長:179センチ
出身:千葉県佐倉市
最終学歴:立教大学
血液型:B型

長嶋茂雄さんの血液型ですが、B型になります。

一般的にB型の性格は、一言でいうと『マイペース!』と言われています。

更に血液型別の特徴を確認する場合には以下の記事もチェックしてみて下さい。

血液型と性格は関係あるの?ないの?それぞれの特徴から科学的根拠まで調査!

 

長嶋さんは現役時代、右投右打の内野手で、立教大学卒業後の1958年に読売ジャイアンツに入団しました。

1年目で新人王・本塁打王・打点王に輝いています。
その後も活躍を続け、チームでのリーグ優勝13回、日本一10回に大きく貢献しました。

長嶋茂雄さん個人でも、数々のタイトルを獲得した名選手です。

新人王・MVP2回・首位打者6回・本塁打王2回・打点王5回・ベストナイン17回・ゴールデングラブ賞2回の日本記録を持っています。

その後も巨人の中心人物として活躍しましたが、1974年に引退を表明しました。

引退セレモニーでは、あの名台詞「わが巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残し17年間の現役時代に幕を閉じました。

あの場面は今もなお、国民の心に焼き付いていますね。

引退の理由について長嶋さんは、

① 自身の成績の低下や、チームの連覇が途絶えてしまった
② 「お金も名誉もいらないから選手としてやらせてほしい」という理由で断っていた、巨人軍の監督のオファーが断れなくなった

事等を挙げています。

引退はとても残念でしたが、次の年の1975年に、読売ジャイアンツの監督に初就任されました。

ファンは監督姿を見ることができて、きっと嬉しかった事でしょう。優勝してもらいたいという期待は高かったと思います。

その期待どおり、監督就任2年目の1976年に初のリーグ優勝を果たしました

その翌年の1977年もリーグ優勝をしており、読売ジャイアンツは2年連続リーグ優勝を達成しました。長嶋監督の指導力が発揮され、素晴らしい結果を残すことができましたね。

しかしその後はなかなか結果を残せず、1978年2位、1979年5位、1980年3位と成績不振に終わり、無念の解任劇になりました。

それから12年後の1993年、なんと2回目の監督復帰することが決まりました。この決断を本人は、「もう一度恩返しする気持ちで」と言っています。

2回目の監督時期は、1993年〜2001年で、巨人の黄金時代を築きます。
1994年にもリーグ優勝を果たし、3度目の日本シリーズに挑戦しました。相手は西武で結果は3-1で、見事日本一に輝くことができました。

この時長嶋監督は、「本当にうれしいです。監督冥利につきるとは、このことではないでしょうか」と喜びを語っています。日本中が巨人フィーバーに沸きましたね。

その後2000年10月 に20世紀最期の日本シリーズが行われました。セ・リーグ首位の長嶋監督率いる巨人とパ・リーグ首位の王監督率いるホークスが対戦し、ON決戦が話題になりました。

結果は、江藤・松井・高橋選手らの活躍により、見事日本一を果たしました。
長嶋監督は2001年で監督を勇退するまでに、リーグ優勝5回・日本一2回に輝き、素晴らしい結果を残して惜しまれつつ、辞任されました。

そんな長嶋茂雄監督は、一体どんな方なのでしょうか?

次で、性格が垣間見える具体的なエピソードを確認していきましょう。

 

B型らしい長嶋茂雄さんに関するエピソード

エピソード①息子を置き忘れてくる天然で自由な人

長嶋さんが現役時代のある日、息子の一茂さんに自分のプレーを見せようと、後楽園球場へ連れて行きました。

一茂さんをスタンドに座らせ、長嶋さんは試合に没頭。その後試合が終わると、さっさと家に帰ってしまいました。
帰ってきた長嶋さんに奥さんが、「一茂は?」と聞き「どこかで遊んでるんじゃないか?」と答えたんだとか。

その後球場から電話がかかってきて、長嶋さんはその時始めて、一茂さんを置いてきたことに気づいたそうです。

試合に熱中するあまり、息子を忘れ、なおかつ遊びに行ったんじゃないか?と心配する様子がなく、楽観的に答えた長嶋さんは、天然で自由人な方ですよね。

B型の長嶋さんの変人ぶりが現れた、面白エピソードですね。

エピソード②敬遠され静かな闘志を燃やし、バットを持たずに打席に立つ男

長嶋さんが現役時代の1968年の中日戦。バッターの長嶋さんに山中投手が2球敬遠してきました。

敬遠されるとわかった長嶋さんは、3球目からバットを持たずに打席に入り直し、素手で構えて抗議のパフォーマンスをしました。

球場はどよめき、その戦いを固唾を飲んで見守りました。

結局山中投手は、そのまま2球ボールを投げ故意四球を選び、長嶋さんとは対決を避ける形になったのでした。

絶対打てないはずの長嶋さんに対し、敬遠策を取った中日は、きっと長嶋さんのバッティングを恐れていたのでしょう。

血気盛んな長嶋さんは、敬遠が嫌いだったため、静かに怒りをこらえて奇想天外な行動に出ました。常識にとらわれない、B型らしい伝説に残る行動といえると思います。

エピソード③巨人嫌いな人をも変えてしまう、熱意と魅力をもつ男

長嶋さんは高校生の松井秀喜さんの巨人入りを熱望していました。
しかし、松井さんは阪神ファンでしたし、本人も阪神に入団することを希望していました。

ドラフト会議前の1992年の秋は、なんと長嶋さんが12年ぶりに巨人の監督に復帰することが決まりました。
そのドラフト会議に長嶋監督も同席しました。巨人は、1位指名をあえて松井秀喜さんを避けて、別の選手を指名する予定でした。

しかし長嶋さんの「松井を1位指名しないでどうする!」の一言で、急遽巨人の1位指名を松井秀喜さんに決めます。

やはり人気者の松井秀喜さんには、巨人をはじめ4球団が指名し、抽選が行われました。その抽選に長嶋監督が参加し、見事松井秀喜さんを引き当てたのでした。

この時に、二人の運命が始まったのかもしれませんね。
決まった瞬間の松井さんの表情は、真顔だったのをはっきり覚えています。
こうして松井秀喜さんは、巨人と交渉を行うことになりました。

長嶋さんは松井秀喜さんの「振りのシャープさ、遠くへ飛ばす能力、まさに10年に一人の素材、大切に育ててみたい」と言っていて、直接電話で松井さんと話をしたんだそうです。

その長嶋監督の熱意とスター性に感動し、巨人入りを決意しました。

長嶋茂雄の人柄と、人を惹きつける力がある方だからこそ、松井さんの気持ちを変えたり、人々から愛される存在になっているんですね。これもB型の特徴のひとつでもあります。

 

長嶋茂雄さんのことが好きになるワンポイント豆知識

長嶋さんは天然で、面白い発言をする事で有名ですが、実はそれだけではなく、心に残る名言も沢山残しています。

そんな名言を少しまとめてみました。

1. 努力は人が見てないところでするものだ。努力を積み重ねると人に見えるほどの結果が出る

2. 感動を知らない人生というのは、何か生きている味わいみたいなものがないわけです。感動はスポーツばかりじゃありません。あらゆるジャンルにある。何かに感動しながら、日々新たな気持ちで挑戦していく。これこそ生きる上での1番の王道と言えるのではないでしょうか。3. 挫折してもプライドは失わない、それは努力しているからだ。

長嶋さんの人生経験や感性で、このような名言が生まれたのでしょうね。カリスマ性をもつB型らしい発言だと感じました。

人生の教えを改めて知ることができた、心に残る名言でした。

 

 まとめ

・長嶋茂雄さんの血液型はB型

・長嶋茂雄さんのB型らしいエピソードとしては、「①息子を置き忘れてくる天然で自由な人」「②敬遠され静かな闘志を燃やし、バットを持たずに打席に立つ音」「③巨人嫌いな人をも変えてしまう、熱意と魅力をもつ男」

(補足)
長嶋さんは2004年に、脳梗塞で倒れました。

一命はとりとめたものの麻痺が残りました。しかし入院から約1か月後には退院し、リハビリをスタート。壮絶な苦しみに耐え、翌2005年の7月東京ドームでの巨人・広島戦で公の前に姿を見せました。

長嶋さんは、大変な状況のなかでも気持ちを切らすことはありませんでした。リハビリのメニューは、毎日午前と午後に2時間ずつのメニューを続けていたといいます。

その前向きな姿勢は、病に倒れた後も「五輪で監督をやりたい」という気持ちが強かったからだと本人が言っていました。周りもドクターからも「無理だ」と言われたのですが「俺は行く」と長嶋さんは思っていて、倒れて2~3週間後には走る気持ちがあったんだそうです。

このエピソードを聞くと、長嶋茂雄さんにとって野球は人生そのもので、野球があったからここまでやってこれたのではないでしょうか

これからも元気な姿で、野球界を盛り上げていって欲しいと思います。

 

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